女性の仕事場 – 1980年代の記憶

This blog was first published in English.  See Please ” Women In Workplace ” for The English version of this blog.

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1980年代の初めのコンピューター業界は高度成長期で景気が爆発的に良かったものでした。私はその頃に大学を卒業して、プロフェッショナルなコンピューター技術の仕事を始めました。私の仕事は日本では男性と同じ仕事の内容だったため, ものすごく珍しい事でした。 それまでは、女性は女性的な仕事だけしかできなかったのです。大体の女性は専業主婦でした。女性は学校の先生や、看護婦の仕事をするのは普通でしたが、他のプロフェッショナルな仕事は男性だけの仕事と思われていました。

私は学校ではいつも優等生でした。一番頭がいい生徒ではなかったのですが、一番の頑張り屋でした。良い成績を取りたい場合は、毎日長い時間努力して完璧にわかるまで勉強していたものです。日本では成績がいいと、周りの人に尊敬されます。中学校の頃の思い出は同級生の男の生徒たちが、宿題やテストの準備のため、並んで私に質問していたことです。学校にいた間は、男の子とも平等に扱われていました。

成績のいいための尊敬は大学を卒業して社会に出る時に全くなくなってしまいました。女性は結婚して、家事と子育てをするものだと思われていました。日本の大企業でも大学卒の女性を雇っても、お茶とコーヒーをいれるのとコピーをする事ぐらいしかやらせてもらえません。女性は若いうちに将来の旦那さんを見つけて、結婚して辞めるということが期待されていました。私はそのようなステレオタイプな生き方ををするつもりはありませんでした。

私は第二次世界大戦後にアメリカ協会で建設された国際基督教大学に行き、リベラルアーツの教育を受けました。大学は普通の日本の教育とは違い、独立的と批判的な思考法に囲まれて、英語を話すことも習いました。また、大学にいた内にコンピューターサイエンスのクラスを取り、内容がとても気に入りコースの成績も良いものでした。前から論理的で分析的な考え方を自然にしていましたが、日本の学校教育の数学には全然興味がありませんでした。学校の数学はどれも計算ばかりで、答えだけが合えばテストにいい点数が取れます。コンピューターサイエンスのクラスでは、答えより考え方とプロセスが大切なため、自分の考え方とよくあいました。また時間がかかる問題も努力で最後までできました。

大学卒業後は、コンピューター業界に就職するために各社であった適性検査を受け、いろいろな会社から採用通知が来ました。コンピューター業界は高度成長期の1980年代には人手不足のため大卒採用をするために、専攻に関係なく能力があればエンジニアとして採用していました。まだコンピューターサイエンス専攻の大学卒業生が少なかったのです。私の選択はアメリカのDigital Equipment Corporation(DEC)という会社になりました。その頃の女性には外国の会社(外資)で働く事が男女平等の仕事につながる希望だったのです。

DECでは6か月間の厳しいコンピューターのトレーニングを経験しました。DECのコンピューター専門のクラスでしたが、大学の専攻を半年で済ませるようなものでした。トレーニングの後には上司から一番厳しいカスタマーにアサインされることになりました。同期の女性は5人いたのですが、私が一番意志の強いタフな性格だと言われ、客先でコンピューターの設定やアップグレードの仕事に担当しました。テクニカルOEM のカスタマーは、DECのコンピューターに自分の会社のプロダクトをつけて売っているものなので、コンピューターが止まるとカスタマーの会社のの利益にかかわります、要求が厳しいものでした。

私は22歳の大卒採用の女性でスカートをはいて大くて重たいインストレーションのディスクをもって客先に毎日行きました。その頃にはCD もフロッピーディスクもなくて、取返しのできるディスクは大きなものしかありませんでした。私は若いころは体力があったようです。重いディスクをもって会社から電車の駅とまた行先の駅から客先まで階段を上がり下がりして、毎日歩いて行きました。

客先では、若い女性のエンジニアが大きなディスクをもって、コンピューターのメインテナンスに来たということで、大騒ぎなこともありました。IT担当の男性は若い女性が本当の仕事をするために来たというのは前例のないことなので、どうしていいかわからなかったようです。じろじろ疑いぶさく見られたり、物を知っているかどうか聞かれたりするには普通でした。まったく動物園みたいでした。カスタマーはアメリカの会社からコンピューターを買った時に、女性のエンジニアが一緒に来るのがわかっていたら、買わなかったかもしれませんね。やはり女性だと言うことで、2倍ぐらいは努力しないと相手にしてくれないという経験もあります。失敗すると要するにやはり女性は仕事ができないといわれてしまうので、絶対失敗はできませんでした。平等には扱ってもらえませんでしたが、選択の余地がなかったのです。若くて理想主義的な考え方だったので、女性でもできるのだという事を証明するつもりでした。日本の初期のフェミニストだったといわれるかもしれません。でも、日本のような伝統的な社会が変わるのには時間がかかります。

そのころから30年位いろいろなコンピューター業界の仕事をアメリカに来てから経験しました。仕事の中でも一番最初のDECの仕事が思い出の深いものです。わずかな影響でしたが、社会的にも一番重要なものだとも思えます。そもころから比べると今では日本でも女性がいろいろな職業に勤めているようです。私の時代の前と後に活躍した女性たちのレガシーです。小さな影響しか一人ではできませんが、人数が多くなると波のように少しずつ変わっていくと思います。

 

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